チャゲアスが好き、ていう複雑
初めてのブログ。
いざ書こうとすると、どきどき。
頭の中で巡らせている想いや考えを整理するためにと、一念発起。率直に、言葉にしてみよう。
チャゲアスの歌う姿を初めて見たのは、“SAY YES”が大ヒットしていた1991年。今思えば年上好きな子どもだった私は、「このお兄さん、かっこいい!!」と、一目でASKAさんに夢中になった。
その後ファンクラブに入会、チャゲアスの音楽が生活の大半を占める日々は楽しみそのものだった。
けれど、自分の音楽の趣向も段々と多様化し始めた高校生あたりから距離が遠くなっていき、大学を卒業し社会に出ると殆ど聴かなくなってしまった。
でも、体は、心はきちんと覚えていた。
数々の名曲からもらったワクワクを。
2013年のチャゲアス復活報道、そして翌年2014年の出来事までもが、小学生の自分に戻してしまった…いや、あの時よりももっともっと、加速していった。
『会えない時間が 愛育てる』の心境でいたつもりだった。もしこのまま歌う姿を見られなくなったとしても、ASKAさんがどこかでお元気でいらっしゃるならそれがいい。穏やかな日々を送れるのなら…
なんて菩薩ぶっていたけれど、自分の心が穏やかさに満ちていないことをまざまざと知らされる時が来た。
2016年、突然のブログ発表。
1月の長文ブログは本人ではないと決めてかかっていた。いや、そう思わなければ何かが崩れそうで怖かった。
でも、守ろうとしていた「何か」は半年後に見事に打ち砕かれた。本人だった。
ASKAさんが書いてた。
受け入れられなかった。
ブログという形で世間に現れたことも、
言葉の紡ぎ方も、内容も、違和感を通り越して
反発心を抱いてしまった。
「なりすましの方が、どれだけ良かったか…」
そんなことも思った。
それでも気になって読んでしまう。そしてまた悶々と、やりきれなさを胸で遊ばせる。
その繰り返しをしばらくしていた頃、心の奥に押し込んで覗かないようにしていた想いが破裂した。
私は、勝手に「理想のASKAさん」を作ってしまっていたんだ。
あのお兄さん、かっこいい!
子供のころに映った残像そのままのASKAさんを、
本物のASKAさんと勘違いしていたんだ。
だから苦しかったんだ。
勝手に苦しんでたんだ。
でも、苦しくなっても離れられないんだ。
自分の本当の気持ちを知って、涙が止まらなかった。
それからは、理解ができないと決めつけることはせず、言葉の端々や行間から感じ取れるものは何だろう?と注意深く受け止められるよう気をつけている。
結局それも私の主観であり、想像の域を出ないのだけども。
ただ、
『物事には理由がある』
一見勢いに任せて書いたような文章でも、一読では誤解を招きそうな危なっかしい物言いも、そうなっている理由が必ずある、と私は思う。
だから私は、今のままでいいんだと思う。
ASKAさんはファンの理想を押し付けられるために生きていらっしゃるんじゃない。
他の誰かと比べられながら活動するのは本意ではないだろう。
違うから、おふたりはバランスが良いんじゃないのだろうか。
違いながらも認め合い、ファンの想像では届くはずない信頼関係で繋がっているのではないのだろうか。
これも妄想だと言えば、それまでだけど。
でも、
おふたりがそれぞれのフィールドに立って前に進み続けたいらっしゃることは、どちらが立派かと天秤にかけることではないと思う。
だって、還暦迎えられた、人生経験豊富な大先輩だもの。
ファンの目線は、後ろを向いたままでいいのか。
ファンの存在意義は、ジャッジの眼鏡を持ち身構えることにあるのだろうか。
ファンの立ち位置は、おふたりに近づきすぎていいのか。
『近づく程 見えない』
そう教えられていることを忘れないようにと肝に銘じて、同じ方向を見ていきたい。